腐女の戯言

生きづらいオタクのアレ

CPにおける「当て馬」という概念について

お久しぶりの更新では、「当て馬」について少しだけ語ろうと思う。

 

 

「当て馬」。

CPにおける当て馬とは、A×B←Cという表記のCの存在のことである。

 

ABが成り立っているのをC目線から見て、ああお似合いだなあ、やっぱりBにはAしかいないんだなあ、などとABの良さを再確認する、というのが大半の目的であろうA×B←C。

ABが流行っている中、ちょうどよくABに絡んでくるキャラがいたりするとCになりやすかったりする。

 

お察しの通り、私はこれが大の苦手である。どんなキャラであろうと地雷である。

 

確かにモブの視点から見てABがお似合いだなあ~、という体験をしてみたい気持ちはわかる。いっそモブになってAかBどちらかに告白でもして振られたい!そしてABが結ばれるところを見て悔しいけどお似合いだAにはBしかいない!という体験をしたい。とてもわかる。

また、ABが本当にお互いの気持ちに気づくまでに他人の介入が必要不可欠である場合もあるのかもしれない。AもBも鈍感であるとか、自分の気持ちにけじめがつけられないタイプだとか、そういった場合は周りから刺激を受けないと自分の本当の気持ちに気づけないことだってあるのかもしれない。

 

だからといって、Cを使うか?

 

今更だが、版権等のキャラであるという前提で話をしているのでAもBもCも同じ作中のキャラであるということを忘れないでほしい。

私は何よりも原作が好きだ。カプおばさんな時点で何を言っているんだこいつはと思われるかもしれないが、それでもやっぱり何よりも原作が大好きだしそれは創作活動をする上での大前提なのではないだろうか。

 

つまり何が言いたいか。

 

私はCが大好きなのだ。

 

確かにABが極端に好きで、それで創作をしているかもしれない。それで某支部を漁っているのかもしれない。それでも、Cは作中の愛するべきキャラであり、こちらの都合で報われない恋をさせられるCなど微塵も見たくないのだ。

A×B←Cという表記を見た瞬間に、ああこの人は原作そんなに好きじゃないんだろうなあ、と心の底から冷めてしまう。

 

しかし先ほども書いたように、第三者視点からABを見たいという気持ちは痛いほどわかる。

作中のキャラを当て馬にする必要はないだろう、そんなときのためのモブキャラである。是非「AB←モブ」作品をつくっていただきたい。大好物。失恋万歳。

 

Cが嫌いなんだ、だからCを当て馬にするんだよという方。

作者が意図して読者にCを嫌わせようとしてかいているのでなければ、貴方は今すぐその作品のファンをやめるべきである。別にCを嫌うのは構わないが、それでいてファンを騙りABの創作活動をするなら私が後ろから刺そう。

 

 あくまで私たちは大前提として原作が大好きで、その上で二次創作物を取り扱っていることを忘れてはいけない。

 

 

ちなみに突然こんな話をしたのは

偶然知り合いの趣味垢を見つけてしまった上にA×B←Cだいすき!っていうツイートが一番上にあるのを見てしまったという出来事が少し前にあったためです

 

知り合いに届け~~~~!!!!!!!!

身近に自分の地雷カプが好きな友人がいる話

身近に自分の地雷カプが好きな友人がいる話。

 

 

私は3ヶ月前くらいに友人に勧められた旬ジャンルの沼にハマって抜けられないでいる。

旬ジャンルはハマると怖いと思っていた私も今ではすっかりそのジャンルに染まってしまい、推しカプもできて、Twitterでアカウントを作成しゆるく絵を生産する、そんなオタクらしい生活が続き幸せだった。

 

ここで予め言っておきたいのが、私は極端に心が狭いということである。

故に推しカプ以外でも好きな物は好き、嫌いな物は嫌いなのだ。そして解釈が違うと許せないような人間なのである。その心の狭さもあり、どのカプもそれなりに繁栄しているような旬ジャンルを避けてきていた。

そうは言っても染まってしまったものは仕方ない。なるべく外界に触れずに生きていこうと決意していた。

 

そう考えていたある日のことだった。

 

普段は話す事が少ないクラスメイトが、私と同じジャンルが昔から好きだと言う。

その子も根っからの腐女。私は恐怖でしかなかった。当然だ。心が狭すぎる私は地雷があまりにも多く、それらはほとんど王道。

しかし彼女はとても原作が好きだそうで、きっと私と解釈も合うだろうと数日後勇気を出して推しカプを聞いてみた。

 

結論から言うと、地雷だった。

 

その旬ジャンルで一番王道のカプ。ヒロイン(仮)×主人公である。

私は固定厨という訳では無いが、このジャンルに関して言えば主人公受けが完全に解釈違いで地雷だ。とは言えその二人の関係性はとても好きなので逆カプをよく嗜んでいたのである。

更に苦しい点が、彼女が完全固定厨だということ。自カプ以外の関連カプ・逆カプ・リバが全て地雷なのだと言う。

しかし、自分から推しカプを聞いておきながら突然私の解釈を語るわけにもいかず、私は静かにその事実を受け入れた。

 

それからしばらく彼女が地雷カプについて語るのを苦しみながら眺めていた。彼女がこんなに好きを語ってくれているのに、本当は地雷だとか私のことに関して何も言えないのが辛かった。

好きな作品は同じはずなのに。

私もこの作品がこんなに好きなのに。

罪悪感のような苦い気持ちでいっぱいになる。久しぶりに直接会って話した日には、ああ、私はどうしてこんなに心が狭いんだろう、私がどのカプも受け入れられるような雑食だったらと、ことごとく自分を責めた。

 

そこで私は冷静に分析を始めたのだ。

どうしてそのカプが見れないのか。何が地雷なのか。作品への愛は私も彼女も変わらないはず。冷静に見直してみたら、私もそのカプを好きになれるのかもしれない。

 

彼女が好きなカプをABとする。

 

順番に分析していく。

まず私はA受けが大好きだ。Aはプライドがとても高く、性格も悪めなキャラ。もうこれだけで私は受けに回したい。Aのプライドの高さが異常なので、攻めに屈したくなくてもヒイヒイ言ってるAが見たい。見たい。大切なことは2回言う。

 

次にB。こちらは主人公である。Bは身長こそAよりかなり小さい上に目がぱっちりしていて受けにもってこいな容姿をしているという気持ちはわかる。しかし彼は作中で何度も何度も人を救う。ボロボロになってもずっと戦い続ける。本当にかっこいい男なのだ。

そんな男としての人間性が完璧な男を容姿だけで受けに回す人間を私は心から殺したいと思っている。Bは人間性から攻めなのだ。この世に生まれた時から攻めだと決まっていたのだ。

女の子みたいに描かれるBを見るとよく吐く。ほとんどのB受けカプはそうなのだが。

 

以上の文を見るとお気づきだろう。

 

私の言う「A攻めが地雷」の意味合いと「B受けが地雷」の意味合いが全く違うのである。

 私にとってA攻めは「確かに好きな人もいるだろうけど私は見れない」のであるのに対して、B受けは「原作を見ている人間ならBを受けにするのは考えられない」のである。

 

そう、私の中に地雷は2種類ある。

簡単に言えば、趣味で左右を決めているキャラの左右違いカプと、原作の解釈から左右を決めているキャラの左右違いカプ。

 

そこで私は、私の中でAのようなタイプを「趣味受け」、Bのようなタイプを「解釈攻め」と定義づけることにした。

 私はBA派であり、私の中のBAは「解釈攻め×趣味受け」。

そして「解釈〇〇」がカプに含まれている以上、原作を崇拝している私は左右が逆なカプを理解することができないし、好きな気持ちが全くわからないのである。

 

ちなみに、この定義の例を出すなら私の最推しはCA。これは完全に「趣味攻め×趣味受け」。

つまり私はCAに関してはACも理解できるにはできるのだ。気持ちはわかる。見れないけど。

 

長々と書いてしまったが、結論を言うと、

私はABが理解できないので、彼女とは分かり合えない。

 

そう、分かり合えないを大切に生きていく。

後ろ向きに真っ直ぐな考えに纏まった。

 

これを読んでいる人で、もし身近に自分の地雷カプが好きな人がいる人がいて、それがまず原作の解釈から自分と合わない人であるなら、分かり合えないと振り切って元気に生きてほしい。王道が間違っていると思っている腐女が生きづらい世の中ではあるが、負けないで元気に生きていこうぜ。私が味方です。

 

 

ちなみに原作で絡みがないところをカプにするのが一番の地雷です 論外